ヒューマンストーリー
【生まれと家族】
私は沖縄県那覇市で育ちました。兄弟姉妹よくけんかをしましたがときどきお互いの悩みを相談したりする仲良しでもありました。父親は「がんこ親父」そのもの。産みの母は6歳のころに亡くなり、父の転職や仕事の関係で住宅を引っ越すこともよくあったので、地域になじむまでに時間がかかり、親しい友だちもあまり多くできませんでした。
母親が亡くなって2年後、都会から田舎の実家に落ち着いたので、そこから小・中・高校まで通いました。4年生のころ父が再婚。継母である今の母との同居生活が始まりました。血のつながりはありませんでしたが、本当に心を尽くす優しい人で、その影響で私の性格もだんだんと明るくなっていきました。
【学校生活と航空自衛官時代】
田舎では同級生によくいじめられましたが、6年生のころに次第に友人たちも増えていきました。ここで遊び相手もたくさんでき、心を許しあえる友人や同級生たちが増えて親しくなっていきました。中学になるころから、次第に自分に自信を持つようになりましたが、その反面コンプレックスも強く、常に自分自身にノルマを課して無理にでも成果を上げようとするのが習慣になっていました。高校にはいると陸上部の友人たちと楽しい思い出を作り、部活動に明け暮れました。
高校3年の1月、大学受験に失敗しました。あきらめられなかった私は、今ではもう大手企業に大躍進している池宮商会でアルバイトしながら浪人生活をし、その翌年に挑戦するもまた受験は失敗。そこで19歳のころ航空自衛官として就職し、通信制の大学に入学。航空自衛官となってからは、学業と仕事の両立する生活を送ることになりました。
航空自衛官のときは、職場の上司・同僚たちの励ましを受け、大学の単位取得のためレポート作成を続けました。大学ではスクーリングに参加し、支部の役員を務め、夏場にはスクーリングで学内寮の世話人を受け持って、同じ学生たちの生活指導の役割を担当しました。
【夢の職業への道】
必要な単位を修めると、満5年たったとき自衛隊を円満に退職しました。通信制の大学で学んだことを生かして小学校教師への道を目指し、再就職を図るためでした。送別会では隊員の先輩方に温かく励まされ、涙ボロボロになったことは今でもいい思い出です。
父は厳格。私の就職浪人を許さなかったので実家には入れてくれず、風呂場もない親戚の空き家を借りて再就職の活動を開始。教員採用試験の猛勉強がスタートしました。でも採用試験合格への道は甘くありません。1回目のトライは不合格。翌年、姉の支えがある中で背水の陣で受験勉強に突入。目から血が出るくらい机に向かい、やっと試験に合格することができました。(はれて「ふぐ」みたいな顔になった)。学生時代にはなかったパワーでした。
教師となってからは、好きな道を選んだ(つもりだった)ので仕事にも力が入り、生活にも張りが出ました。本就職して自信がついたので職場以外のコミュニティにもたくさん参加するようになりました。
そして同級生の会、高校の部活動OB会、専門分野の研究会、趣味の同好会など色々なところに顔を出すようになって走り回る場所も多くなっていきました。
【色々なことがありました】
一方職場のほうは人に気遣い過ぎて忙しく、余裕がなくなっていました。やがて手に余る役目や仕事を引き受け、周りの人たちにも喜ばれるようにはなっていたものの、自分の能力の限界を感じ始めるようになりました。
子どもたちとふれあう時間は楽しいものでした。授業を工夫することも生き甲斐でした。熱中しやすい私は毎回実施する授業では欠点ばかりを探し、私自身の中でその出来具合にどうしても納得できないこともしばしば。もっとよくしようと徹夜で指導計画を練ることも多くなっていきました。それでも次の授業で思った通りに授業ができずに鬱憤がたまるばかり。満足できない私はいらいらを募らせ家族に八つ当たりすることも多くなっていきました。
結婚後、やがて学校に情報化の波が押し寄せました。ちょうどコンピュータに熱を入れていた私は夢中になってコンピュータによる教育の研究に没頭していきました。ふだんの授業の結果に満足できない私は新しい分野でもっと自分の力を伸ばし子どもたちによい授業が提供できるのではないかと期待しました。
高額なお金をかけて自宅にもいくつもコンピュータや学習ソフトのサンプルを持ち込み、操作法を覚えたり材料を買って組み立てたり、あげくの果てはサーバを構築しネットワークの設計・構想などマニアックな領域に踏み込んで、学校のIT環境の改善・改革にまで意識を傾倒させていくようになっていきました。
こうして情報教育に力を入れていくようになると、職場の同僚たちにも同じように取り組んでもらいたい気持ちが強くなりました。研修を組んだり、時間外に機器の扱い方をボランティアで引き受けたり、膨大な説明資料を製本して配ったりと、あらゆることに取り組んでいきました。
ところが、感謝の気持ちを忘れ去って同僚を批判することが多くなり次第に会話が激減。意地を張って思いを伝えきれず同僚に理解を示してもらえないまま人間関係もぎくしゃくするようになり、思ったようにコンピュータの授業活用が進まなくなっていきました。ときには感情的になり同僚や管理職との間で対立して反抗的になったり、やがて同僚に嫌われているのではいないかと被害妄想に陥ったり、職場で疎外感を異常なほど感じるようになっていきました。
「教育を変えるなんて無理」「教師として力不足」「僕は何をやっても理解されない」。こう思うようになってから一気に落ち込みが激しくなっていきました。何をするにもあきらめが先立ち、自宅に帰ってもすることがなく寝込んでしまい、以前よりもさらに家族との会話がとぎれ場合によっては妻との衝突も日常茶飯事になっていきました。研究が好きだった自分も毎日TVを見て何もしない過ごし方が増え、本も読まなくなり新しい仕事への意欲も消え失せだんだん職場に使命感を持って行く勇気も元気もなくなっていきました。
そんな中、学校現場の仕事で成績処理はもちろんのこと、書類整理や授業研究、行事計画の話し合いに問題行動を起こした子への対処、生徒指導、そして大量に配布される連絡文書とその指示に従っての処理、出張への参加、全校児童600名あまりの名簿のコンピュータ室統合ソフトへの入力作業、機器の管理、不具合の修理など、日に日に業務内容が増えていきました。それらに続いて父母が二人とも認知症となり、妹や姉と三人で通院の世話や入所施設への訪問を続ける毎日が続くようになりました
【ターンニングポイント】
ある出勤日の朝、気が進まない気分でいつものとおり職場への道を車で走らせていると、急に胸の鼓動が激しく鳴り始めました。学校へ到着するまでの間、胃の痛みがにぶく長く続き、職員室前の廊下を歩いていると真っ暗な洞窟を歩いているような錯覚に襲われ体が震え始めました。
やむをえず教室で子どもたちと会い、作り笑いで何でもないように振る舞いながら授業をせざるをえませんでした。しかしこの体のけだるさと不安そして恐怖感がどうしてもぬぐえず、ついに給食時間に体がダウン。その日の夕刻、心療内科で受診しましたが、診断の結果、病名は「適応障害」でした。
【松城成道さん、クリス岡崎さんとの出会い】
数日後、このことを校長へ報告し休職。休職した私は自分について見つめ直すためにできるだけたくさんの心理学の本を集めて読み始めました。心療内科に通うことと合わせて、私が休職したことを知った学級の父母が紹介してくれた心理カウンセラー松城成道氏のもとグループセラピーを受け、そこで「無意識の意識化」について教わりました。
セラピーが終わってからウォーキングを始めるようになり、毎日夜中の3時頃まで成功哲学書をたくさん読むようになりました。その中で特にクリス岡崎氏とアンソニー・ロビンズの著書には大きく心揺さぶられ、今までにない感銘を受けました。2人の著書は人が幸せに生きるために実践的な手法を紹介していて、これが僕のものの見方や考え方に大きな変化をもたらしてくれました。
2人の著書を読み始めて私の生活は一変しました。次第に心の状態もやわらぎ、早寝早起きや感情のコントロールについて新しい習慣も次々つくられていきました。休職中にありながら、さらに多くのことを学びたい気持ちになって、クリス岡崎氏の著書「最高の人生を引き寄せる法」「億万長者専門学校」を何度も読み重ねていきました。
本を読むときの私は、自分がいかに幸せに生きていくのか、その方法を求めることだけに終始していたのですが、クリス岡崎氏の著書のあとがきを何度も読むうちに涙がこぼれてこぼれて仕方のない感情を味わいました。
そこで語られていた彼のミッションは「日本の大人を元気にして、子どもたちが夢をもって生き生きと社会に参加する世の中にする」ということ。その時私は今までを振り返り、クリス岡崎氏の温かみのある人間愛に触れて自分の小ささに気づき、こんな素晴らしい人になりたい!と心から思うようになっていきました。
クリス岡崎氏のきわめたコーチング技術の集大成「スピードコーチング」のスキルをおさめたい。そう思った私はついにクリス岡崎氏のもとでコーチングの学びを始めることとなりました。
コーチングの学びには人間研究と幸福への道標が提示されていました。そこには人に対する優しさと愛情があり、私も過去の自分の振り返りができ、そして新たに人と関わる仕事をする上での心の準備が整っていくのを感じました。
そして2009年、クリス岡崎氏のもとで「スピードコーチング」の学びを修了し、コーチ資格を獲得することができました。
自分に自信を失いかけていたこの時期に、クリス岡崎氏と出会えたことを本当にラッキーだったと思っています。私はいつでも自分と関わる人々に向かってありったけの思いを注ぎ、心を尽くし、相手の世界を理解していくことの大切さを学ばせてもらいました。そして、幸せは自分の心のルールを書き換えることで、今すぐ身近でつかめるんだ、ということも知りました。
クリス岡崎氏からの学びは今私の体の中心であり支えです。だからこそ今の私があります。これからの使命は私が得た学びと幸福感を、コーチングスキルにより多くの方へお返ししていくこと。子どもたちにもこのスキルが生かせると思えば、とても楽しみです!
【これからの自分】
クリス岡崎氏の使命に感化されて私の抱く夢も一変しました。現在の仕事に対する見方も変わり、人に対する愛情の向け方も変わりました。一番変化を遂げたのは自分自身に対する見方です。
自分を心から信じ、愛おしく思う心なしで他人に親切になどできるわけがない。まずは自分を自分で満たす作業から始めることが大事。そう思うようになってから初めて「使命感」に意識を傾倒することができるようになってきました。
東京では多くの友を得ました。彼らの人生も今ここから見ているだけでものすごい大変革を遂げています。沖縄にもそんなコミュニティを作ることができれば・・・ 私は今そんな夢を描いています。
【沖縄での活動】
沖縄ではAwakening Design MoCo代表の豊田麻琴氏、沖縄セミナーズ代表山口功太郎氏の指導を頂き、数々の斬新で有意義なセミナーを受講させてもらいながらコミュニケーションスキルを身につけるための自分磨きを開始しています。 同じ沖縄の方々との出会いと、同じ目標に向かって学ぶ同士の励まし合いの環境を得て楽しい体験を積み重ねています。沖縄セミナーズ NLPマスタープラクティショナー1期生、NPO法人日本スクールコーチ協会の仲間との親交も深めながらさらに成長したいと思っています。
人生はいくつになってからでも始められる!夢に向かってばく進!!
共感して頂けた方からのメッセージ、心から楽しみにお待ちしています。
○プライマリークエスチョン
「この障害や問題は私に何を教えてくれているのだろう」 ・・・・・・・・
○アイデンティティ
「私は人々を夢と愛に導くサクセスコーチである」 ・・・・・・・・・・
最後まで私個人のプロフィールを読んで頂き、本当にありがとうございました!これからもどうぞよろしくお願いいたします。
